【沿革】
1872年 |
内外砂糖問屋として徳島市大道一丁目に斎藤徳蔵(初代)創立 |
1890年 |
斎藤徳太郎(2代目)が従事 |
1925年 |
斎藤英二(3代目)代表者 就任 |
1948年 |
会社組織 斎藤産業株式会社を設立 |
1950年 |
株式会社斎藤商店 商号変更 |
1952年 |
砂糖の統制撤廃により砂糖卸売販売業に復元 |
1966年 |
斎藤正美(4代目) 代表取締役 就任 |
1971年 |
斎徳株式会社 商号変更 斎藤義人(5代目) 代表取締役 就任 |
1983年 |
徳島総合流通センターへ本社 移転 |
1998年 |
斎藤賢治(6代目) 代表取締役 就任 |
2006年 |
斎藤正治(7代目) 代表取締役 就任 |
斎徳株式会社は、明治5年に創業し、砂糖・小麦粉を中心とした糖粉商として、現在まで「食」に関係する多くのお客様にお取引頂いております。明治・大正・昭和と世の中が近代的に発展していく中で、食生活も大きく変化していきました。創業当時は特に砂糖は貴重品とされ、需要が供給を上回り、砂糖という商品自体に高い競争力のある時代でした。
日清戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と激動と混乱の歴史の中で、砂糖問屋として決してお客様に嘘をつかない真面目な経営を通して、多くのお客様との強い信頼関係を築いて参りました。
また企業というよりも家業の意味合いが強く、会社の規模を大きくするより、お客様・仕入先・ビジネスパートナーとの長期にわたる信頼関係の構築に重点を置いて参りました。
1971年に斎藤義人(現会長)が社長に就任し、社名も現在の「斎徳株式会社」へ変更し、徐々に家業から企業への道を歩み始めます。現会長はよく「メーカーは母親、お客様は父親」とメーカーやお客様との関係のあり方を表現したり、諺の「天網恢恢疎にして漏らさず」を解説しながら社会人、商人(笑人)として人生やモラルについて話され、その時代に作られたのが斎徳基本則であり、信条であります。
~斎徳基本則~
一、我々は、食品文化の向上と食品業界の発展に寄与する。
一、我々は、仕事を通じて品格を高める。
一、我々は、社員及び家族の幸せを築くため一歩一歩前進する。
~信 条~
熱心 信義 始末
1970年代のオイルショック時、砂糖も品不足になり、大変混乱を極めた時期がありました。しかしその際にも、お客様に売り惜しみをしてご迷惑を掛けない事、決して社会に嘘をつかない事を信念として、安全に、安心して、安定的に商品を届け続けたことは、今も当社の誇りであります。
1983年には、創業の地を離れ、現在の徳島市川内町 徳島総合流通センターへ移転し、企業としての認識を新たに致しました。日本の食品文化が多様化していく中で、食品業界も目まぐるしく変化し、規模も拡大していきました。それに伴い、砂糖・小麦粉以外の製菓製パン材料、冷凍冷蔵商品も幅広く取扱い、お客様のご要望にお応えして参りました。多様な商品を取り扱うことにより、幅広い業種のお客様とお取引頂き、和菓子・洋菓子・製パン・食品工業・外食と「食」に関する多彩な情報が社内に蓄積されてまいりました。
1998年には、斎藤賢治が社長に就任し、製菓・製パン材料の拡充へ更に力を入れていきます。
そして2006年に斎藤正治(現社長)が社長に就任し、経営理念を策定しました。
【経営理念】
『私たち斎徳は、お客様の「ありがとう」のために、お客様の立場に立って考動すること、それが社員の幸せにつながることを認識し、広く地域社会に役立つ会社を目指します。』
お客様からの視点を常に意識し、「ありがとう」と言って頂ける事、そして社内でもたくさんの「ありがとう」が響く、そんな会社を誇りだと思える社員が集う職場を目指します。
日本経済が成長期から成熟期に入り、食品業界にとって今まで経験したことの無い変革の波が押し寄せています。例えば、メーカー・仕入先同士の合併による影響力の増大、大手商社による食品流通形態の系列下など数え切れない状況であります。
私たちは、この変革の時代を真正面から受け止め、先人が築いてきたお客様・ビジネスパートナーとの深い信頼関係を基盤として、自らの独立した道を貫きながら、自らを変革する強い意志を明確にしなければなりません。砂糖・小麦粉卸問屋から出発した私たちの強みを最大限活かしながら、今まで蓄積してきた製菓・製パン・食品原材料の知識により一層磨きを掛け、食品卸売業という業態の概念を打ち破り革新の経営を目指します。
食の安全・安心、健康、自然環境に配慮することを原点に、地域社会を意識した経営向上を常に追い求め続け、社会へお役立ちすることが社員の喜びにも繋がる組織でありたいと思っております。